■超-1総評
贄となる人を募る、とは言ったものの。 何人かでも来てくれたらいいな。もしくは、50話も来たら成功かなあ。 実際、そのくらいの心細さで始まった超‐1。よく文庫巻末に「皆様の体験談をお寄せ下さい」という告知があったりするが、実際にそうした告知に沿った体験談がどのくらいくるのかというと、年間でも片手で足りる程度くれば御の字だ。 そうした現実があるが故に、当初この超‐1という企画は大きな期待はされていなかったのだ、ということを初めに告白しておきたい。 僕の中では、「150話きたら大成功ということで自慢してもいいなあ、その中に10話くらい凄いのがあったら、そりゃもう大喜び。書ける人、というのもそうそう出てこないだろうなあ……」というくらい、低いところに目標が置かれていたことも、ここで告白しておきたい。 蓋を開けてみれば応募総数529話、応募者総数62名という盛況となった。読むのと書くのは違う。読者だから書けるというものでもあるまい。そういう不安もあった。が、その不安は大きく、そしていいほうに裏切られた。 まずこのことについて、全ての応募者の方に感謝の意を述べなければ罰が当たりそうだ。 本当にありがとうございます。参りました。
超‐1は相互講評制という、こうした企画ではあまり馴染みのないシステムを取った。応募者の名前は伏せ、誰がどれを書いたか、何作書いたのかも伏せる。その上で、応募者は自作も含めて他の応募者の作品を相互講評していただいた。 応募者以外の一般読者の皆様にも、同様に「良い物はよい。気に入らない物は気に入らない」と、意思表示をする機会をお持ちいただいた。これは、文句があればその場で言って、著者を打ちのめしていただくためだ。 名前を伏せたこと、作品そのものの連続性を絶ったことで、純粋に毎回頭をリセットしての講評に当たっていただくよう配慮した。後半、同じ方の大量投稿が集中して続いたことで、この配慮を十分生かせなかったことを、少々残念に思っている。
相互講評制の目的は、「怪談を読む能力」を知るため、そして「時間の使い方」がどの程度うまくできるか、そういった自己管理能力を見るためでもあった。 実話怪談は、「取材に基づいて書かれる」ものだ。よい書き手は、同時によい聞き手であることが求められる。三代目編著者・平山夢明氏は傑出したインタビュアーでもある。体験談をうまく引き出す能力、話のポイントをつかみ取る能力が、その応募者にあるかどうかは、それぞれが講評に書いた、「怪談をどのように読んだか」から読み取ることができた。 また、怪談は「体験者」「著者」「読者」の三位一体によって「怪談という状態」を生み出すものと思う。読者=怪談を読み解き完成させる能力は、体験談を聞く能力と不可分でもあり、よき聞き手、よき読み手であることも重要なポイントであると考えた。 もうひとつの「自己管理能力」について言えば、もし超‐1覇者となり「超」怖い話の執筆に加わることになった場合のことを考えている。 新共著者にとって「超」怖い話の執筆は、それぞれの著者の本業とのかねあいの中で書かれることになるだろう。昼間、または夜のそれぞれの日常の仕事をして、夜または休日の空いた時間を取材や怪談執筆に充てることが求められる。そうした兼業作家の二重生活をうまく回していけるかどうか。取材、執筆、加えて他の応募者の作品を講評するという条件を、どのように自己管理していけるかを知るために、こうした条件を設定した。 ただ、応募総数529話は僕にとっても想定外の規模であり、特に後半に過大な負担となってしまった人もあったかもしれない。これについては、もし第二回があるなら要検討事項であると思う。
大会中、僕は個別の作品について僕個人の論評を加えることを極力避けた。その理由は、講評者に先入観や基準を作ってしまわないようにする、ということに尽きる。 大会主催者の好みで作品を選ぶということもできるのだろうが、条件の異なる(嗜好の異なる)多種多様な読者が、それぞれ異なる視点から評点を付けていくというのが相互講評制を採った理由のひとつでもある。基準はそのときどきで変化し、主催者の好みに依存しない形で形成されていくことが望ましい。 もちろん、「最初に読んで最初に講評した人の感想」に引き摺られるということも多少は起こり得た。この意味で、コメンタリー講評よりも講評内容そのものがすぐに見えないTB講評がより多く利用されていれば、とも思うが、これが強制はできない。やはり、これも要検討事項であったように思う。
大会終了まで講評を伏せては、というご意見をいただいた。しかし、リアルタイムで積み重ねられていく講評は応募者を短期間で見違えるほどに叩き上げ、磨き上げることに大きく寄与したと言える。これも相互講評制の利点だ。 例えば、第一作として遺影を書いたhydrogen氏。これは、大作であると同時に肩に力が入りすぎた、いわば「書きすぎた」作品だったと思う。が、講評を得、また何度も繰り返し作品を応募していくことで、だんだんに「力の抜き方」を会得し、最終的には練習を完成させた。同様の進化を遂げ、格段に成長した応募者は数多い。特に、「長期に渡って繰り返し応募した」応募者ほど、その伸びは大きい。 これは、講評者が応募者を磨いた結果である。相互講評はライバルの弱点を指摘するものでもあり、良い物を良いと評価する度量と能力があることを逆に諮られる機会でもある。結果として、講評を成長のための奇貨とした応募者が続出したことは、大会趣旨としては大いに喜ばしい。
実際、ひとつの基準に寄りそうことはそう難しいことではない。 例えば、加藤一の基準で作品が選ばれるのだとわかっているなら、僕が好みそうなものを特に選んで書けばいい。僕の好みとは、イコール僕がこれまでに書いてきた傾向のもの(好みだからそうしたものを多く書くのだ、と考えるなら)と考えてよいと思う。 そうしてひとつの基準に阿ってしまうと、提出される作品はおそらくみんな似たような、大会全体として平均化されたものになっていく恐れがあった。確かに僕好みのものは出そろうことになるだろう。けれども、僕の好みが絶対であるという保証はどこにもない。幽霊が怖いかまんじゅうが怖いか、そうした「恐怖の好み」を、僕一人を基準に決めてしまっては、僕と異なる好みを持つ読者を切り捨てることになってしまう。 これまで、「超」怖い話はより多くの読者の支持をいただいてきた。読者の人数が多くなればなるほど、その恐怖の好み、読者の持つ個々の基準というものは多様化していく。「超」怖い話を支える新著者は、こうした「多様化している読者の好み」に対応していかなければならない。僕の基準に沿うだけでは、僕以外の読者を満足させられないかもしれない。 恐怖の好み、恐怖の基準はひとつではない。もちろん、多くの人に共通し共感を得られる恐怖を掘り当てることを否定するものではないが、ピンポイントの恐怖感を刺激し、多くの異なる読者を満足させうるものをより多く提出することができるマルチプレイヤーであることは、歴代「超」怖い話著者に通じる特質であったと思う。新著者にも、そうした異なる種類の恐怖を掘り当て、自分好み以外の恐怖を容認できる懐の深さを持っていただきたい。
一人当たりの作品応募数については、今回「最低3話」という下限を設けた。もし、自分にとってのとっておきの話が2話以下しかなかったとして、その2話のうち1話でも凄い怪談があったとする。超‐1が「傑作を一本見つけて顕彰する」という趣旨であるならば、何の問題もない。が、超‐1は「より多くの怪談を、将来にわたって書き続けていける人」を捜すという明確な目的を持っていた。 なればこそ、上限無制限として「いくらでも書ける人」が、その目的により近いと言える。 手持ちの体験談をどの程度まで使っても大丈夫なのか、という迷いはあっただろう。応募者の名前を伏せる超‐1のシステムでは、他の応募者が何作出しているかわからない。つまり、ライバルは最終的には自分自身ということになる。どこまで出せばいいのか。他の応募者はどうか。応募作が多い人にも少ない人にも同じだけの葛藤はあったと思う。 応募数は少ないが、しかし凄い怪談の割合の多かった人も少なくない。そのことは素晴らしい。採用が決まった後に使う体験談を温存しようと考えていた人もいたかもしれない。そうした考えから見れば、手持ちの体験談を吐き出し尽くしてしまう、または吟味せずに書く大量応募は、明かされてみれば結果的には苦々しいものだったかもしれない。 しかし、当たりはずれはともかく、応募数を多く設定した応募者は「他の応募者はきっと自分よりもっとたくさん送ってきているに違いない」と考えていた節もある。人は、ライバルを過大に評価するものだし、そのときに「自分よりも凄いはず」とまず自分をその評価基準とするものだ。 ライバルの実情がわからないままに、20、30、50を超える大量応募を続けた人々は、ライバルに負けないためにと思いながら、常に自分と競っていたとも言える。その競うべき自分をどう評価していたかが、応募数に現れている、と受け取ることもできる。
様々な条件を鑑みて講評された個々の作品の得失点の合計、講評者・応募者相互の推奨、または「もう一度、何度でも読みたい」と言わしめた珠玉作の有無、講評態度から読み取れた様々な資質――そうしたものを総合したものが、暫定ランキングとなった。 以後、この稿ではランキングに記される人々を、応募者ではなくランカーと呼びたい。敬意を持って。
上位のうち、C群以上は30点以上を獲得したエピソードが1本以上あるランカー。B群以上は、それが複数あるランカー、とした。 「人は誰でも一作だけなら傑作を書ける」 と、これに類似した言葉がある。この後に「それは彼自身の人生だ」と続いたり、「処女作は誰でも傑作であり、続く第二作でこそ真価が試される」と続いたりもする。 今回、B、C群に留まったランカーが能力的に劣っていたとは僕は思わない。最初の一作、もしくは少なくとも一作以上は、傑出した怪談を残したという事実に相違ない。 超‐1の目的は「そうした怪談を複数以上、今後もずっと書き続けられる人」であるが故に、C群ランカーはその候補からは外れるが、それは劣っているからではなく「まだ熟していないから」であると思う。これから彼らは覚醒していくのかもしれない。または、何かを悟るかもしれない。 B群のランカーはさらにA群に肉薄している。彼らがA群に届かなかった理由をしいてあげるすれば、それは数であり規模でありボリュームであった。「超」怖い話著者が読者に求められる「もっともっともっと、とにかくもっとだ」という渇望感、怪談の数そのものの点で、わずかにA群に及ばなかったのだと思う。 しかし、B群は第二回が開かれるとき、飛躍的に順位を上げてくるかもしれない。「それなら50話どころか100話だって書いてやる!」と闘志を燃やし、それだけの数を実際に彼らが書いたとしたら? 超‐1の相互講評制は、短期間の間に飛躍的に書き手を成長させるシステムだということはすでに述べた通りだ。A群以上のランカーにとって、B群は背後に猛追する恐るべきライバルとなるだろう。
A群はさらに優れて40点以上の得点を複数以上得、応募数が多く怪談を継続して書き続ける能力があると判断できるランカーを残した。 AS群との差は、大きいようで小さい。いずれも平均以上の怪作を多数残している。ひとつひとつを見ていけば、AS群のランカーの怪談に迫るもの、勝るとも劣らないものはいくらもある。 例えば、sora氏の花嫁、目撃譚。もりけんた氏の呻き声。誤爆は僕好みだった。藪蔵人氏のお面、繰り返し。吉田ゆうき氏のトートバッグ、砂の街。これらは、このまま「超」怖い話に収録されていたとしても、何の違和感もない。それほどに完成度の高いものも含まれている。
A群とAS群を分けたのは何か? AS群はそこからさらに、「多くの支持を得ている」「高い得点を得ている」「安定している」「著者当人の熱意」「向上心が見られる(作品の成長度合い)」など、可能性を感じさせるものが残った。 AS群のうち、PONKEN氏は惜しくも三位となった。が、その実力としてはAS群の誰とも拮抗していたと言っても過言ではない。彼は魔を吸い寄せるという類い希な性質を持っていた、とも思う。似たものを、A群のもりけんた氏にも強く感じた。 歴代共著者は、皆それと似た性質を持っていたと思われる。「普通の人はそんな体験滅多にありませんよ」というような非日常が、その日常になっていたりもする。頼みもしないのに体験談を持ちかけられる。次々にそういう人ばかりが紹介される。 日常に魔が濃い。こうした言い方にはあまり説得力を見いだすことは難しい。しかし、そう言うより他に言いようがない。「超」怖い話は、毎年2回巻を重ねている。「超」怖い話以外の単著もある。それだけの怪談を書き続ける、というよりも、「それだけの体験談を得続ける」というのは、日常に魔が薄い人には難しい。 その意味で、PONKEN氏、もりけんた氏は当人たちが望もうと望まなかろうと、「魔を吸い続け、怪を書き(吐き)続けなければならない」という切迫した理由がある。書きたいから書くのではなく、「書かなければならないから書く」という位置にある人なのではないかと感じた。 だから、彼らは今後も怪談を書き続けられるだろう。もし第二回があれば、第一回を上回る数の怪談を持ち込んでくる可能性すらある。 もりけんた氏はまだ成長の過程にあり、さらなる研磨によって化けるのではないか、と思う。PONKEN氏についても同様で、書き手としての旬はまだ今ではないのではないか、とも感じた。次にまみえるときを大いに期待したい。
当初、超‐1は共著者を一人選抜する、として開催された。 それを心に決めて、ただ一人を選抜する心づもりで選考に当たった。 しかし――状況は変わった。 まずこのことに触れておきたい。
これまで、勁文社版新「超」怖い話8から竹書房版「超」怖い話Θまでの間、「超」怖い話は三代目編著者・平山夢明氏をチームリーダーとし、加藤一と二人体制で維持されてきた。 そして、Θにあるように次回「超」怖い話Ιからは、「超」怖い話は冬を加藤が、夏を平山氏が担当する二班体制となることが宣言された。 かつて、「超」怖い話は初代編著者・安藤薫平氏、樋口明雄氏、蜂巣敦氏、加藤一の四人で始められた。初代編著者・安藤薫平氏の卒業の後、二代目編著者・樋口明雄氏の元、何度かスポット共著者の出入りはあったものの、勁文社版中期は樋口・平山・加藤の三人体制がほぼ固定になっていた。 樋口氏の卒業の後、「超」怖い話は平山氏を三代目編著者として平山・加藤の二人体制となる。 ただ、Θまで続いた二人体制では、各方面で高い評価を得、注目を集めるようになった平山氏の負担が大きい。ここから、当初の超‐1は「現状の体制にもう一人加えた三人体制の復活」「三人体制下での新人育成」を目指していた。 が、状況は変わった。 僕が四代目編著者(といっても、三代目はもちろん現役続行だ)を拝命する所となり、冬の「超」怖い話の舵取りという大役を賜った。 夏の平山版「超」怖い話が冬班の最大のライバルとなると同時に、いくつかの覚悟と再確認が脳裏をよぎった。 「超」怖い話が「超」怖い話たり得た理由は何か。ひとつのスタイルを頑なに守ることでもなかったはず。スクラップ&ビルドとさらなる展開を考えたとき、必要なものは何か。 これについて、僕は「新奇性」「活力」「熱意」「向上心」「粘り強さ」「耐久力」「ストイックさ」を求めることにした。そして、それを最後の候補に残った二人が持っていると考えた。
一人は大量の体験談を継続的に取材する能力と熱意を持ち、体験談をつぶさに聞く耳と、それを怪談に仕上げることができる筆を持つ。それも、天恵ではない。確かに、魔に遭遇することができるのは、努力だけでは説明できない部分もある。が、そうして得た大量の体験談を、怪談に仕上げるという技は天恵で得られるものではない。聞く書くという作業を短期間に集中して繰り返した結果、当人の努力と修練によって獲得されたものだ。大量の高品質作品は、偶然生み出すことなどできない。この修練によって能力値の高値安定とも言える結果を残した高山大豆氏を、看過することは不可能だ。 その多くは上出来である。大ハズレはほとんどない。相互講評での評価もずば抜けて高い。高山氏は作品平均点33点をマークしている。唯一、寺町聖仁氏が高山氏を上回る33.8点を記録している。が、両者はその母数が違う。大会最多の57作を応募した上で、33点という高平均点を維持することは並大抵ではない。 高平均点、高得点、総合得点と、点数を見れば彼について異を唱えることは、超‐1の採った相互講評制に異を唱えることに等しく、また、講評に当たった全ランカー及び全講評者が、彼の正体を知った上で口裏を合わせたと疑うことにも等しい。そしてそんなことが不可能であることは、相互講評制の採用を決めた僕が誰よりもよく識っているつもりだ。 異なる嗜好性を持つ講評者が、こぞって推したという厳然たる事実が、高山大豆という姿形を取っているといっていい。 これまで、僕は声なき声を声にする仕事を続けてきた。それは雑誌の読者ページという本来なら誌面に声をあげる事が叶わない人々のそれであったり、また、体験談を伝える人であったり、体験談という形で体験者に何かを伝えようとした〈誰か〉であったり。そうした経験を踏まえて言うなら、声なき声に推された結果から、僕は逃れることはできない。 超‐1に奇蹟は起きない。それは、確かな裏付けと、声なき声の強力な推薦によって起きて当然のこととして起きる。 高山氏の作風は、回を増すごとに透明感を求めて進化していったように思える。よりシンプルにという高山氏のスタイルは、引き算の怪談でもある「超」怖い話のこれまでのスタイルに親和性も高い。もし、「超」怖い話を今後も継続させ、従来の著者の作風を継承することを主目的に据えるというのなら、断然彼を採るべきだろう。 このことについては疑う余地はない。
いま一人は、叙情的な筆致で怪を重ねるスタイルを採るロールシャッハ氏。 高山氏のスタイルは、発熱を抑え抑揚を排し、透明感を追い求める方向へ進化していった。これは確かに引き算の怪談たる「超」怖い話に馴染みがいい。 対してロールシャッハ氏は、それとは逆の方向に向かうスタイルを示した。ウェットで重層的かつ、熱を持っている。熱に浮かされた文章といってもいいかもしれない。どう表現するのが適切か悩ましい。単に数字だけを見るならば、高山氏には比べるまでもなく、また3位としたPONKEN氏に肉薄するどころか、総合点ではPONKEN氏に遙かに劣ってすらいる。 が、点数に現れない何かをロールシャッハ氏の中に強く感じた。言うなれば、艶。 抽象的な表現ではわかりにくいところなのだが、こう表してみよう。 今回、超‐1では超短編がいくつか見受けられたが、それらの超短編以外でも文庫に置き直した場合2〜3頁程度の長さの掌編怪談に秀作が多かった。B〜A群の秀作には特にそうしたものが多い。多いのだが、実際にそれを初読したときには、「密度」や「大きさ」を感じた。2〜3頁なのに読み進めるのに力を必要とする。後で振り返ってみるとたった2〜3頁なのに、もっと多い、もっと長いような錯覚を感じていた。 対して、ロールシャッハ氏の怪談は実は案外長い。同じ条件で文庫に置き直した場合、5頁を超えるものも少なくない。なのに、さほど長さを感じさせない。かといって内容が薄いのでもない。濃い。濃いことは濃いのだが、それを濃い、長い、と感じさせない勢いとなめらかさがあった。 また、記憶に残る話も多かった。 怪談は一期一会――とは言わないが、オチが知られてしまえば再読されにくいものが多いことは事実だ。びっくり箱のようなものであるが故に、仕掛けがばれれば価値は半減する。 しかし本来の怪談は、例えば東海道四谷怪談が鶴屋南北にまとめられる以前がそうであったように、何度も人の口の端に上がり、人から人に繰り返し伝えられることで、その存在を人の記憶に刻み、広まっていくものだと思う。オチが知れたらもう誰も語らないようなものは、怪談としての寿命は短い。オチを知られていても、何度も繰り返し読める、繰り返し語れる、語りたくなるものこそが長く生き延びる。 その意味で、内容が記憶に残ること、人に教えたくなること、うまく説明できること、また、仲介者が人に説明しきれなくなって作品そのものを他の誰かに読ませたくなること――そういった条件を満たしている怪談ほど好ましいとも言える。 ロールシャッハ氏の怪談には、そうした怪談が備えるべき何かの萌芽が感じられた。
この二人は、「超」怖い話に必要なものをそれぞれが持っている。だが、どちらもまだ完成型ではない。もし、それぞれが補完しあう、またはそれぞれが相互に相手の美質を吸収しあうようになれば、きっと凄いぞ。そう思った。 「二人とも欲しいんです」 無理を承知で希う。 「超」怖い話の要たる小川女史を説得した。 チームに保険を掛ける意味での三人体制の復活、もある。加藤+1となった場合、不安とプレッシャーで新人が潰れてしまう可能性もある。が、三人いればその不安はいくらかでも軽減できる。一人にもし万が一のことがあった場合でも、残る人間が二人いればバックアップとして二人体制より負担は軽い。 また、二人を同時に採ることは、二人を成長させる。何より「超」怖い話に量的・質的変化をもたらす。 彼らは新しい試みに挑戦する熱意がある。「超」怖い話の読者からの多大な期待、その裏返しでもある化け物じみたプレッシャーに耐えることができる。より以上を目指す向上心がある。その伸びしろがある。何より彼らには実話怪談でなければならない、書く理由がある。
二人を同時に採る、同着一位・同率一位として扱い、順位に上下をつけない、賞金は当初想定額を減額することなく、二人にそれぞれ同額支払う。 全ての条件を同一にした上で、二人を競わせ、育て、次代の「超」怖い話を担う著者として成長させる。その鍛錬の任を加藤が責任を持って担う。 そうした条件の元、小川女史の承諾を得た。
故に、本大会に二位は存在しない。 だから、一位の次は三位となっている。
高山大豆氏。 ロールシャッハ氏。 彼らと僕を合わせた三人が、「超」怖い話Ιを作る「超」怖い話冬班となる。 どうか、期待していただきたい。
今から20年以上も前、機動戦士ガンダムというアニメが放映された。ファーストの初回放送時の評価は芳しくなく、途中打ち切りとはなった。が、打ち切り後に爆発的なヒット作に成長し、繰り返し放映された。ファーストは、オチがわかっても繰り返し見ることに耐えた。そのことがまた、伝説となる苗床ともなった。 その後、映画、続編、新作、とガンダムの系譜は続いていく。ファーストを作った富野監督が去っても、モビルスーツのデザイナーが大河原邦男からカトキハジメに替わっても、ガンダムはもはや絶えることがない。 関わるスタッフは絶えず入れ替わり、今や子供の頃、ファーストやΖを見て育った世代が新たなガンダムを描く側になっている。
15年続いた「超」怖い話には、今それとよく似た現象が起きつつある。 かつて、「超」怖い話に読者として出会い、浴びるように犯されるように「超」怖い話を貪った人が、その「超」怖い話を書く側に加わろうとしている。これは喜ばしいことなのだと思う。
アーシュラ・K・ル=グィンは僕などが語る言葉を持たないほど素晴らしい。が、ゲド戦記はル=グィンの世界であって、他の誰かがその原作小説そのものに新たな展開、新たな設定を加えることを、ル=グィンが許しても、ル=グィンの読者は容易には許さないだろう。それは、ル=グィンでなければ触れることが許されない世界だからだ。
クトゥルフはH・P・ラブクラフトによって拓かれた地平に端を発し、ダーレスを始め多くの作家によって今も拡げられ続けていることは、ルルイエを故郷とする多くの愛読者によって理解され、また受け入れられている。ラブクラフトが去った後でも、そして他の誰が書いたとしても、それはクトゥルフ神話に連なるものなのだ、という了解がある。
「超」怖い話は、編著者の変遷を成長のきっかけとして受け入れてきた。変わり続けることをよしとしてきた。そういう歴史を持っている。 ガンダムがそうであるように、クトゥルフがそうであるように。「超」怖い話もまたそうであってほしい。 創始者や功労者の功績を称えつつ、新たな血で贖いながら「超」怖い話を未来永劫に渡って継承継続拡大展開していきたい。
此度、超‐1を通じ二人の怪物を得た。 「超」怖い話の新たな地平に向かって先陣を切る者として、この心強い怪物の覚醒を心待ちにしている。
超‐1の趣旨にご賛同いただいた全ての皆様に心からの感謝を。 その皆様から、「超」怖い話の将来を託された彼らに怪談の神の試練を。 そして、冬にご期待を。
超‐1 主催者 「超」怖い話
冬班 加藤 一
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