「私の実家って、隣の家がお寺なの」
照恵さんの生家の横にはお堂へ向かう道、裏手には墓地が広がっていた。
「それまでは特に怖い思いをした覚えもなかったんだけど……」
中学2年の夏休みのある日、照恵さんは友人達と海に行く約束をしていた。
家から海までは自転車で20分程度、いつものことだ。
ただ、その日はお盆の中日なので親には内緒にしておいた。
「以前から『そんな日に海に入ったら連れてかれるよ』って言われてたから」
当日の朝、照恵さんは夢を見た。
「お寺の斜め向いにある小学校にいるの。中庭にでたら池の前に大人が数人と、
地面に横たわった幼稚園児くらいの女の子」
女の子は全身ずぶぬれで、海藻のような濡れ髪が顔の上半分を覆っていた。
動く気配は全くない。
あっ、と口に出して目が覚めた。心臓の速い鼓動が全身に響いている。
「さっきまでその場にいたような、ものすごく鮮明な夢」
なにかが心の奥を引っ掻くような感覚が残っていた。
「けど、外は暑いし、天気もいいし、ま、いっかって」
すぐに気持ちを切り替えて、照恵さんは海水浴に出掛けていった。
「そしたら、案の定っていうか……まあ、準備運動も足りなかったんだろうけど」
海にはしょっちゅう来ているし、泳ぎにも自信があったのだが、
足がつかないところでこむらがえりを起こしてしまった。
慌ててもがくと、鼻から、口から、塩辛い水が流れ込む。
「ヤバイ、死んじゃうかも、って初めて思った」
幸い、友人が照恵さんの様子にすぐ気づいてくれたおかげで
大事には至らずに済んだ。
海から上がり、気をとりなおして遊び回った照恵さん達が
帰る頃には、すっかり日が暮れていた。
友人達と別れ、いつもの近道、小学校横の小径を
自転車で通りすぎようとした時、
「中庭の池にね、橙色の灯がぼおっと浮いてた」
灯は水面より少し上にあり、外灯が設置してあるとか、
どこかの光が反射しているようにはみえない。
「それで、急に思い出したの。誰かが昔そこで溺死したらしいって話」
中庭を囲む古びた校舎がいっそう暗く感じる。
背筋がスッと冷えた照恵さんは、立ちこぎでダッシュしてその場を走り抜けた。
帰宅後、母親に池について尋ねてみるとこんな返事が返ってきた。
「そうか、あんたは全く覚えてないんだねぇ」
亡くなったのは隣のお寺の家の子だった。
名前はスミちゃんといい、照恵さんの一つ年下。幼稚園に通う頃、
照恵さんとスミちゃんは毎日のように一緒に遊んでいたのだそうだ。
二人の遊び場はスミちゃんの家のお寺の境内か、小学校の中庭だった。
中庭にあるのは凹形に似た、浅く広い人工池で、
真ん中の半島状になった部分には花壇と日時計があり、
照恵さんはその場所が特にお気に入りだった。
とある休日、照恵さんは朝から家族と出掛けていた。
午後、明るいうちにに帰宅したのでスミちゃんの家を覗いてみると、
一人で外に出ている様子だった。
境内に姿がなかったので照恵さんは小学校に向かった。
「……あんた、ちょうど池から引き上げたトコロ見ちゃったんだよ」
池の深さは、幼児が頭まで潜る程ではないのだが、底に生えた藻がすべりやすく、
転落したスミちゃんは池の中で立てなかったらしい。
誰かが気づいた時には、すでに手遅れだったそうだ。
幼心に大きなショックを受けた照恵さんは、
しばらくは家から一歩も外出せずに伏せっていた。
隣家では葬儀が行われたが、同じ年頃の娘を亡くした親の気持ちも考え、
両親は照恵さんを連れていかなかった。
荼毘に付された小さなスミちゃんは、やがて、大きく立派な墓所に埋葬された。
照恵さんもだんだんと以前の様子を取り戻していったが、
幼稚園から帰宅した後は、家の中で遊ぶのが習慣になった。
そんな頃、母親が夕飯の支度中に、台所の窓からふと外に目をやった時、
立ち並ぶ墓石の隙間を、小さな人影が横切るのがみえた気がした。
家の中を見渡せば、照恵さんの姿がない。
訝しんだ母親がすぐに墓地に向かうと、
真新しい花とおもちゃに囲まれた墓石の前に、照恵さんがいた。
スミちゃんの墓の真正面に立っているのだが、
視線はどこか遠くに焦点を合わせている。
母親は、不安を押し殺しながら穏やかに声をかけた。
「こんなところで何してるの?」
キョトンとした照恵さんは不思議そうにあたりを見渡してから
「スミちゃんと遊んでた」
そういうなり背骨を抜かれたように、ふにゃり、とくずれおちてしまった。
「その後も、ちょっと目を離すとあんたはお墓にいってるのよ。
でも、お隣でお寺さんの家だし、滅多なこと言えないからねぇ」
隣家には何も言わず、しばらくは家族で照恵さんを見張るようにしていたそうだ。
「ところで、なんで突然そんなこと言い出したの」
照恵さんが正直にその日の出来事を話したところ、
母親の厳しいお叱りと長時間の小言をもらうこととなった。
「私は警告しに来てくれたんだ、って思いたいけどね」
そう苦笑いする照恵さんは、それ以来、お盆の海には入っていない。
