「機械曲げが悪いッて云ッてるんじゃないスけどね。やっぱり男なら、手曲げだろうと」
何を曲げるのかよくわからないが、どうやらパーツの話らしい。
鳥羽くんは、古びたパイプを撫で回し、恍惚とした表情を浮かべている。
硬派の走り屋にして、旧車マニア。
その風貌は、遅れてきたカミナリ族とでも云おうか。
「これはね、ゴッドハンドが曲げたマフラーなんス。当時物。あの本田宗一郎も頭を下げた伝説の男は、そもそも」
勿論、私は怪異体験の採話の為に彼のガレージを訪れたのであって、「ヨシムラ」の歴史について教示を乞うた訳ではない。
彼は単車の話になると、持論展開にブレーキが効かない性質だった。
否、ハナからブレーキなどついていないのかもしれない。
一時間半に及ぶ難解な講釈の末、どうやら大型二輪免許取得と無謀運転が、「男」の条件であるとの結論に達したようだ。
私は、魂の無い人形のようにガクガク頷き、なるほどよくわかった、もう充分に理解した、それでは現代日本において希少な絶滅危惧種「男」の後継者たる鳥羽くんが重ねてきた幾多の戦歴の中で、最も不可解な出来事と云うのを聞かせてはもらえまいか、と力説した。
「ええ。て云うか今日はその話を聞きに来たんじゃなかッたんスか?先輩、暇なんスか?今日」
ハハハ。
なるほど。
では、その古パイプに穴を開けて、吹奏楽を奏でてみると云うのはどうだ。
つい半年ほど前の話。
鳥羽くんは組み上げたばかりの単車に跨り、複雑な峠道が乱高下する県道を攻めていた。
午前一時か、二時か。正確な時刻は覚えていないと云う。
「時間なんて気にしたら負け」だからである。
身を斬るような夜気の中、時を忘れて走る。
オークションで購入した、三十年前の希少な部品の搭載テストを兼ねていた。
調子は、上々のようだった。
「アルミファンネルなんスけどね。こう、口が開いてるでしょ。ファンネルの放熱量ッて云うのは、素材の」
小一時間に及ぶ晦渋至極な理論説明の末、とにかく良いものであるとの事。
ライダースジャケットの下にじっとりと汗が滲みはじめた頃、彼は休憩を取ろうと、丘の上にある駐車場に入った。
がらんと静まり返った暗い空き地。
十台程並んだ自動販売機の明かりが、目を眩ませる。
休日前ともなれば地元の走り屋達がたむろする社交場だったが、その夜は平日と云うこともあり、彼の他に人影は無かった。
ヘルメットを脱ぐ。息が白い。
鳥羽くんは単車を降りた。
エンジンは切らない。
力強いアイドリング音を愉しむ為である。
自販機で飲み物を購入していると、背後で突如、「ヨシムラ」の咆哮が響いた。
驚いて振り返る。
愛車の傍らに、男が居た。
何度もスロットルを回す。
エンジンが悲鳴を上げる。
愛情の欠片も無い、素人のふかし方だったと云う。
「何やッてんだオラァアアア!!」
鳥羽くんは怒号を上げながら走った。
男がゆっくり、こちらを向く。
脱色した髪。
真っ白な顔。
血の通った人間の顔色ではない。
所々に赤黒い染みのついた、派手なシャツ。
自販機の蛍光灯に照らし出されたその姿は、半身が、単車と重なっていた。
「ええ、わかりましたよ。そのぐらいわかりますよ、俺も。人間じゃないスね。重なッてんスから」
そして、そんな事は鳥羽くんにとって、関係の無い事だった。
彼は全速力で間合いに入るなり、その色の悪い顔面を渾身の力で殴りつけた。
ゴツン、と手応え。
生きている人間と変わり無い、確かなヒット感。
殴る。殴る。
完全に、頭に血がのぼっていた。
男が、後へ下がる。
俺のZ2から離れろ。
殴る。殴る。殴る。
離れろ。
殴る。殴る。殴る。
離れろ。
気が付くと、男の姿は無かった。
静寂の中、心細げに響くアイドリング音が、胸を締め付けた。
鳥羽くんは怒りに身を震わせながら、愛車のエンジンを撫でたと云う。
二週間ほど後、彼はその不愉快な体験を、知人の走り屋達に話した。
男の着ていたシャツの柄に、心当たりのある者がいた。
「そいつのツレだッたらしいス。四ツ輪の方なんスけど、走り屋で」
一年以上前に、峠から転落して亡くなった人物ではないかと云う。
件の社交場では、この一件が「Z2の鳥羽」に纏わる新たな伝説となったそうである。
そして、そんな事は鳥羽くんにとって、どうでも良い事だった。
「すみません先輩。さッきから気になッてたんスけど。先輩が座ッてるの、メグロ純正のエンジンなんス」
ややイラついた様子で、彼は煙草を揉み消した。
私は、慌てて謝罪し、席を立った。
