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本日のお題は恐怖とは何か、について。 人によって何に恐怖を感じるかは様々なので、「これが恐怖だ!」と決め撃ちしたThe恐怖を定義することは難しいのですが、人は何故恐怖を感じるのか? という理由を考えてみるのもおもしろいかもしれません。 なおこれについては、確定的な結論は示すことができませんので、あくまで「かもしれない」という考察推察の域を出ないものと思って受け取って下さい。
これまでにもたびたび、「女性は理解不能を恐怖と感じ、男性は理解できなければ恐怖を認識できない」というようなことを書いてきました。改めておさらいしてみましょう。 単純な性差で分けてしまうのには少々問題がありますが、これまでの聞き取りの経験からの傾向として、女性的な恐怖の感じ方と男性的な恐怖の感じ方があるらしいことがわかっています。
ちょっと例えを出してみましょう。 大きなウロのある巨木があるとします。 ウロの中は真っ暗で、何があるか外からはわかりません。 何かいるかもしれないし、何もいないかもしれない。 こういう状況下で、「いるかいないかわからないけど、何かいたらどうしよう。それが例えば、毒蛇、獣、逃走中の脱獄犯、気違いのホームレスだったらどうしよう」と考えて、原因が解明されていない暗い穴に対して「自分の思いつく限りの想像で畏怖を感じる」のが女性的な恐怖の感じ方。 それに対して、「何かいるかもしれないし、いないかもしれない。判明していないのだから恐怖は感じない。中を確かめて、毒蛇、獣、逃走中の脱獄犯、気違いのホームレスがいたことを認識して、自分に対応できないものであった場合は恐怖を感じる」というのが男性的な恐怖の感じ方。 つまり、「解明される前から恐怖を想像して察する」か、「解明された後でないと恐怖を想像できないか」という違いなのかもしれません。 このあたり、「超」怖い話など、オチのない投げっぱなし系実話怪談の愛好者に女性比率が高く、ストーリーの進行と同時に原因が明らかになっていくホラーの愛好者に男性比率が高いことと、関係があるのかもしれませんね。
男性読者は「なぜ怖いのか」を順序立てて説明し種明かしをしていかなければ、その対象を「恐怖として理解できない」という性向があるように思います。理解できないものは恐怖(危険)とは受け取らない、ということでしょうか。 また、恐怖(危険)に際して、女性は恐怖を拒絶し、男性は恐怖を支配しようとする。拒絶というのは、理解できないものを理解しないまま遠ざけるということ。支配というのは、その概念や理論や理由を筋立てて汲み取るということですが、同時にこれは「相手の主張にのっかる」ということでもあります。女性は恐怖を拒絶、男性は恐怖を支配しようとして支配されてしまう(幽霊の主張に同意してしまう)、ということかもしれません。
さて。 つい最近、「心当たりのない人がストーカーになっていて怖い思いをしている」というお話を伺いました。 「やっぱり生きてる人間=気違いは怖いね」とは、ホラー映画のキャッチコピーの定番ですが、ストーカー・狂人に対する恐怖感と幽霊に対する恐怖感は、基本的には同質のものなんじゃないのかな、と思います。もっと広げると、「北朝鮮は怖い」「中国(かつてのソ連なども)は怖い」「テロリストは怖い」というような大がかりな恐怖感も同じ理屈で説明できるように思います。
その行動原理を突き詰めていくとこうなります。 ストーカー、狂人、幽霊、テロリスト(笑)に共通の、被害者側から見た特徴は以下の通りです。
1)自分(当人)の意見・意志を絶対的な正義(独善)として曲げず、聞く耳を持たない 2)こちら(被害者)の都合を考えない。自分と対立するものは悪/障害と考える 3)自分にとってのみ意味がある行動を取り、その結果を「良いこと」として被害者に押し付ける
要するに、「他人と意思疎通が出来ない、または意思疎通をするつもりがない」というものと対峙したときに、人はその対象に対して恐怖を感じるのではないでしょうか。 話が通じる、話せばわかるものに対しては恐怖は感じません。 少なくとも意思疎通ができ、何らかの交渉ができるならば、その後に起こるかもしれない何らかの事態を回避することも可能でしょう。
女性的な恐怖感は、まさにここを衝いたもので「意思疎通ができない、行動が予想できない相手は怖い」という一言に集約できるように思います。相手が未知だからこそ畏怖を感じるというわけですね。そして、理解できないことを拒絶することで、原因が解明されないから恐怖が持続するわけです。拒否反応を保つことでリスクからより遠ざかろうという防衛反応なのかもしれません。
男性的な恐怖感は、ここで「意思疎通はできるはずだ、行動は予想できるはずだ」として、相手を理解しようと務めます。解明できればリスクは減るはずだと信じて止せばいいのに近付いて、結果的に大きなダメージを結果として受けてしまうまで恐怖を想像できないわけです。恐怖を想像できないから大胆な行動を取れる一方で、リスクに自発的に近付いていってしまうので、落命率は女性より男性のほうが高いのかもしれません。 女性は出産という役割を担っているせいか、本能的に男性より生命維持への欲求が高いが故に、恐怖を想像して察知する能力が男性より優れているのかもしれません。
「超」怖い話が支持されてきた理由のひとつに、「投げっぱなし感」があるかと思います。 結論や原因が何であったかを著者が断定せずに、可能性を論じる(=想像する)ことを読者に委ねてしまうというもの。これは、想像力逞しい人は逞しいなりに、自分の中でもっとも恐ろしい可能性を当てはめてしまうので、結論が書かれていない怪談ほど「とてつもなく恐ろしい」という評価になります。逆に想像力が乏しい人は「なぜ怖いのかわからない」という弱含みの評価になります。「超」怖い話において、同じ話に対してまったく違う反応が出てくるのは、このあたりが原因であるように思います。 しかし、繰り返し怪談に接して想像力が鍛えられていくと、今度は同じ怪談を二度読んでも最初に読んだときとは違う想像をするようになります。オチが断定されていないが故に、読者が成長した結果、当初見過ごした別の可能性を想像するようになるためです。それによって再読性が高まるわけです。
怪談は一度読んだら二度は読めない。 それは、原因・オチが判明したら読む価値がないから、という意味を含みます。 原因・オチを明確にしない怪談の場合は、オチが断定されていないが故に読者自身の成長の度合いに合わせて個々の読者の中で変化していくことになります。
恐怖とは。 不明確であること。 話が通じないこと。 何考えてるか、次に何をするかがわからないこと。 そして、決して理解できない(=同化できない)こと。 何が危ないのかを想像で補完できる人は、未知のものに恐怖を感じる。 何が危ないのかを想像できない人は、酷い目に遭ってみるまで恐怖を感じられない。
実話怪談のように「恐怖を欲しがる人に恐怖を提供するガジェット」は、何が危ないのか想像できない人に危険をシミュレートさせるという需要のもとに成り立ってるのかもしれません。
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