超‐1/U-25開催に寄せて
昨年末、長年僕に体験談を託してくれた古き友人が「脳梗塞になった。今からICUに入ってくるね。生還率は五十パーセントだって」とメッセージを寄越してきた。
やきもきしているうちに年が明け、世が能登の大地震に揺れる中、「退院してきた」と割と元気そうな連絡がきて、ホッと胸をなで下ろした。
年初以来、そんな経験をしたり、そんなつもりではなかったはずなのに命を落とした多くの人々の無念に触れるたび、他人事ではないな、と思いを新たにした。つまりは僕もいつ死ぬかわからない年齢になってきたので、そろそろ種を撒こうかと思ったのだ。
とはいえ、例えば僕が今この瞬間に死んでも、久田樹生君、松村進吉君、深澤夜君、渡部正和君がいるから、『「超」怖い話』の火がすぐに絶えることはない。二〇〇六年から二〇一三年にかけて開かれた怪談作家公募バトルロイヤルの先駆け「超‐1」を生き抜いて今に至る古強者だ。面構えが違う。だから、僕亡き後でも彼らがうまくやってくれるはずだ。
だが、その後は?
僕が勁文社版の『「超」怖い話』という企画に呼ばれたのは九十年代初頭だった。二十三歳で『「超」怖い話』第一巻の編集・共著に携わり、絡め取られ、先人が去った今も逃げ損ねたまま……いや、今は自ら望んでここに囚われている。
若くして関わった怪談の道に居続けることが、当たり前に馴染んで久しい。だが、あと何年かしたら、或いはこの稿を認め終えた後にでも呆気なく、そんなつもりもないままにキーボードに突っ伏して、そのまま生を終える。そういう去り方だってするかもしれない。
なので、何か遺してみたくなったのだ。いや、この『「超」怖い話』をこの先もずっと遺していきたくなったのだ。より若い、僕らベテラン勢が知らない世界を見ているであろう次世代の怪談作家に、僕がこの道に手を染めたあの頃と同年代の若い世代に、会ってみたくなったのだ。『「超」怖い話』の未来をいつか託せる人々を探してみたくなったのだ。
だからこれは、三十三年という長き時を、この愛すべき呪いの書『「超」怖い話』とともに過ごした僕のちょっとしたわがままで、ちょっとした心残りで、ちょっとした呪いのお裾分けなのだ。そう思っておつきあいいただきたい。
我々『「超」怖い話』が人を募る、となったら。それはもう決まっている。
諸兄諸姉。超‐1の時間だ。
二〇二四年 初春 加藤 一
超‐1の歴史
超-1は、竹書房から刊行されている取材系怪談シリーズ「超」怖い話の共著者を捜すためのコンペとして、2006年に初めて開催されました。
2006、2007年の二大会に応募された取材系怪談の総数はのべ1000話近く。 2006年大会の2名の大会覇者、久田樹生・松村進吉は、2007年に「超」怖い話・新共著者としてデビューし、同年それぞれの単著「超」怖い話
怪歴、「超」怖い話
怪記を上梓しました。 また、同年の傑作選書き下ろし作品で注目を集めた雨宮淳司は、2008年に竹書房文庫から恐怖箱 怪医にて単著デビューを果たします。
超‐1は、これまでに「超」怖い話共著者である深澤夜、渡部正和の他、恐怖箱シリーズなどで知られるつくね乱蔵、神沼三平太、高田公太、ねこや堂、橘百花、三雲央、鳥飼誠、鈴堂雲雀をはじめ、怪談界のトップランナーとして活躍する怪談作家を数多く輩出してきました。このほか、今も活躍する一線級怪談作家の中にも、若き日に超‐1にエントリーしていた方も珍しくはありません。
超-1(2006-2013)への応募作品のうち、特に怖かったものについては、竹書房刊の傑作選
超-1怪コレクションシリーズ(怪コレ)などに収録されています。
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